http://www.bs-tbs.co.jp/app/program_details/index/MOT0800500

2010年12月7日火曜日

大衆文学の特徴・純文学との比較

大衆文学というのは娯楽を目的とした小説の種類です。大衆文学の作家は読者の希望を考慮しながら、ストリーを考えて作品を生み出します。小説は読者を楽しませるものとして、利益を生む商品として見られています。そのため大衆文学は、小説を書く人たちだけではなくて、読む人たちによっても作られていると思います。読者は実際に文章を書くわけではないですけど、買う本の選択などによって作家に影響を与えます。
逆に、純文学は芸術性のある文学です。作家は自分の心に積もっている考えや反省や思想などを小説で表現します。自分が何か言いたいことと、こんな印象を作りたいと思うが執筆のきっかけになります。仕上げた文章を読む人に意味が通じるか、作品がどう判断されるか、というのはあまり大事ではありません。

作家により読者の扱いが変わるということは大衆文学と純文学の主な違いです。また、読者の興味や理解能力を考慮して小説を書くという作品の作り方からもっと具体的な違いも生じます。

1) 大衆文学の作品の筋書きにはよく知られているパターンが使用されています。現代の小説化は以前にあった物語をコピーしているとは言えませんが、昔から文学に出ている話、人物の中で自分の作品に合うものを選んで、新しいストーリーを作ります。でもその新しいストーリーをよく見てみたら、ストーリーが成り立っている要素は以前になかったことがありません。
たとえば、恋愛小説の中では革新的なものがあまりありません。主人公の名前や職業やストーリーの詳しいところが作品によって異なりますが、構成はだいたい一緒です。
それはもっともいい組み合わせです。読者は新しい話を読みたい一方、他方では、馴染みの範囲からあまり離れたくないからです。

2) 大衆文学が取り上げる問題は身近な問題です。恋愛小説や家族小説にはもちろん人間の日常的な悩みが描かれていますが、ファンタジー小説でもアクション小説でも、一般の人が入れない世界なのに、その小説の意味は現実の世界とつながりがあります。愛とか友情とか面子とかについての話が多いです。

3) 小説の終わりに取り上げられた問題は解決されます。ほとんどハッピーエンドですが、悲しい終わりになるものもあります。でも終わりがどうなるかにかかわらず一応小説における問題の解き方が説明されて、主人公が探している答えも出ます。だから読者は読み終えてから、内容について考える必要がありません。全部明らかですから。
純文学は小説が終わっても答えが出ないどころか、質問がもっと出ることが多いです。純文学の作品は人間の問題の解決をくれるものではなくて、人生について考えさせるものですから。
でも読者は現実の悩みをどう立ち向かうかよく分からないので、小説の中ではっきりした答えを求めています。作者はその期待に答えようとしています。

4) 大衆文学の作品は解釈が一つあることが多いです。というより話は複雑ではなくてその中に深い意味が隠れていないので、あまり解釈する必要がないようです。娯楽的な文学なので、読者にその意味を簡単に受け入れてもらう作られています。読んだら意味が分からない小説は読者を楽しめません。

5) 大衆文学は人間の希望を表します。現実の世界でできないことは小説の中でできることになります。一番分かりやすい例はファンタジー小説です。魔法が存在していませんからこそ、魔法について読むのは面白いです。生き生きとした描写だったら主人公を通じて読者は魔法に触れて違う世界とつながった気持ちになります。
作家は読者の希望を考慮して、小説の中でそれを叶わせます。

6) 大衆文学によく出るセックスシーンです。人間は自然に性に興味があって性欲を満たしたいです。だからそういうシーンが含まれた本や小説は人気が減らないでしょう。純文学にはセックスの場面がないわけでないですけれど、その場合は、作家がそのシーンを芸術的な手段にして何か違うこと言いたいようです。セックスシーンがそれを言うために一番いい手段だと思っているから、そのシーンを描きます。単に男性と女性の性交を見せて読者の性欲を満たそうとしているわけではなく、そこにもっと深い意味があります。大衆文学はセックスは単なるセックスで、読者の興味を起こさせるためにセックスシーンをできるだけ作品に含ませる作家もいます。

7) 最後に、大衆文学はジャンルに分類しやすいです。恋愛小説、推理小説、時代小説、アクション小説などはっきりしているジャンルがあります。前に述べたとおり読者によって好みが違います。分類ができることのおかげで読者は本屋に入って簡単に自分が興味がありそうな本を見つけます。でもそれぞれのジャンルは決まった典型があって小説家はジャンルを選んだらそのルールを守らなければいけません。

以上に述べたように、小説の作成の方法と読者がつながっています。大衆文学は娯楽的で、日常の悩みから避難所になって、興味を起こさせようとしている文学なので、作家たちは読者の好みを大事にしなければいけません。もちろん自分が書きたい話を書いてもいいですけれど、それを読んでくれる人が気に入るかどうか考える必要もあります。だから頭の中で浮かんだアイディアを、読者がどんな話を読みたいかという考慮をしてから変えることが多いと思います。

2010年11月23日火曜日

『失楽園』の内容 (下)


前編の話の続けたいと思います。

予定以上の外泊のせいか、凜子の夫にも久木の奥さんにも浮気がばれました。夫は凜子を憎んでいるけど、離婚してくれないと言いました。彼女の母親も娘の不倫関係を知って縁を切りました。久木の奥さんは別れようと言って娘もそれに賛成しました。久木と凜子はそれぞれの家族を失って渋谷にアパートを借りることにしました。家に帰らずにそのアパートで時間を過ごしていました。ある日、軽井沢にある凜子の父親の別荘に行きました。そこでは、久木は昭和史を編纂していた時に調べた安部定の事件について話しました。安部定という女性はある男の人と不倫関係になって相手を誰にも渡したくなくて結局彼を殺しました。凜子は定の強い愛情に憧れて久木と二人で死にたいと言いました。今は一番幸せな時なので今死んだら幸福は永遠に続きます。でも絶対二人で同じ瞬間にしっかり抱き合ったままではないとだめだと言いました。最初は久木には死にたい気持ちが別になかったですが、ある日、会社に手紙が来てその内容は久木と凜子の関係について書いてありました。しかも久木は人妻を誘惑して強引に関係を迫って今は自宅に帰れないように軟禁していると書いてありました。上司は嘘がたくさん含んだ手紙だと知っても、久木の昭和史編纂を中止して彼に子会社に行ってもらうと述べました。そう言われたら久木は会社を辞めることにしました。家族だけではなくて仕事も失ったら久木も凜子と一緒に死ぬことに賛成しました。

久木は環境分析センターの研究室で働いている友達を訪ねて、出版するつもりの小説の科学的な内容について相談したいと言って友達に青酸カリという毒物を見せさせました。青酸カリは一、二分で人を殺す毒です。友達が隣の部屋に行ったら、久木は青酸カリを少し取りました。毒を手に入れたら二人はまた軽井沢の別荘に行きました。あそこで最後の日を過ごしました。二人を一緒に葬ってくださいという遺言を書いて青酸カリをワインに混ぜて性交しながらそのワインを飲みました。「凜子」「あなた」と呟いて死にました。

久木と凜子の恋愛の話はそれで終わりますけど、終章として小説の終わりに警察医によって書かれた死体検査調書が添付されています。警察は自殺現場に着いたら二人の死体は強く抱き合って隔離することが簡単にできなかったらしいです。久木と凜子の、一緒に死にたいという夢は叶いました。

画像:http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200103000813

2010年11月1日月曜日

『失楽園』の内容 (上)


みなさん、はじめまして。グジブ・マルタと申します。これは私のブログの最初の投稿になりますが、ご覧になってありがとうございます。

このブログは日本の大衆文学の代表になる渡辺淳一の『失楽園』という小説について書きたいと思います。大衆文学を卒業論文のテーマに選ぶ人はあまりいないので、私はそのテーマにしました。そしてゼミの先生に渡辺淳一の小説を勧めて下さいました。

『失楽園』を読んだ人は少ないと思いますから最初の投稿としてその小説の内容を紹介したいと思います。

『失楽園』は1995年に日本経済新聞に掲載さられていました。1997年に単行本が出ましたし、小説は映像化にもなりました。恋愛小説で、中年の男性と女性の不倫関係が描かれています。

男の人は久木祥一郎といって、五十四歳です。出版社で働いています。一年前までは部長職をやってこれから役員になる可能性が高いと思ったら、昇進したどころか職を解かれて会社の調査室で閑職をすることになってしまいました。久木は奥さんと一緒に住んでいますが、お互いの気持ちが冷めてきて仕事の話しかしないようです。一人娘は既に結婚して実家を出ました。

女の人は松原凜子といって、三十七歳で無職です。10歳上の夫と暮らしています。夫は東京の大学の医学部で教えていて、周りの人に尊敬されている教授ですが、奥さんに対してはかなり冷たいです。凜子は書道をやっています。子供がいません。

二人が出会ったのは衣川という、久木の友達のおかげでした。衣川が勤めているカルチャーセンターでは凜子は書道のレッスンをやっていて、久木は講演をしました。そのきっかけで三人で食事をしました。久木はすぐ凜子の魅力に惹かれて一週間後彼女に電話をしてデートに誘いました。それから毎日電話したり会ったりしました。数週間後ホテルに行って初めて結ばれて肉体関係まで進みました。

小説の始まりはその数ヵ月後です。出来事は全部久木の視点から描かれています。久木は今まで凜子ほど好きな女性がいなくて彼女にとても夢中です。けれども凜子の夫の存在が気になっています。凜子の話によると、夫は彼女のやっていることに興味がないらしいですが、もし浮気しているのはばれたらやはり大問題になるに違いないです。でも久木は男女が二人愛していると一緒にいたいのはしょうがないと思っていて遠慮せず凜子に電話したり旅行に誘ったりしています。彼女は久木に会うときに家にいない言い訳を作らなければいけないことがつらいですし、浮気をしているから地獄に落ちることも心配しています。でも久木に対する好きな気持ちが強くて不倫関係を続けています。

そのまま久木と凜子は逢瀬をしたり旅行に行ったりホテルで結ばれたりしています。デートのときに誰か知っている人に会わないように、よく鎌倉とか箱根とか東京から離れた場所に行きます。箱根の旅行から帰ったら久木は凜子と連絡とれなくなりました。二日間家に帰らなかったので夫に怒られたかと心配しましたが、やっと凜子から電話が来て父親がなくなったと伝えました。極めて悲しいことが起こったのに、久木は話があると言って少しだけ会うようにしつこく迫りました。凜子は横浜のホテルに来てくれたら性欲で我慢できない久木に淫らな形で結ばれされました。そんなことをさせられた凜子は久木に会うのをやめようと思いましたが、彼女の体が先に動いき出して食事に誘われたら断ることができなくて久木が必要な存在だと分かりました。逆に彼にもっと夢中になりました。二人は日光に行って一泊することにしましたが、帰ろうと思ったら大雪が降って道路が止まっていて次の日まで日光を出られなかったです。大変なことに、その日は夫の姪の結婚式に凜子は出るはずでした。それはできなくて不安な気持ちを抱いて東京に帰りました。

画像:http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200103000812