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2011年1月16日日曜日

渡辺淳一の人生人と小説


渡辺淳一は1933年に北海道の空知郡(そらちぐん)、砂川町(すながわちょう)に生まれました。小学生のときから札幌の学校に通っていました。中学校の先生のおかげで文学に興味を持つことになりました。最初は短歌を作ったりしましたが、結局小説を書く道を選びました。

高校を卒業したころはまだ小説家になろうと思わなかったそうです。北海道大学の理類枠に入学して、それから札幌医科大学に入学しました。学生時代には短歌を詠んだり、小説を書いたりしました。21歳のとき、『イタンキ浜にて』の処女作を発表しました。しかし大学を卒業してから、医師国家試験に受かって札幌大学で教師の仕事を始めました。

大学の整形学科で勤めながら小説を書いていました。最初から渡辺さんの作品はいい評判をもらっていました。1959年に『境界』という小説が道内文芸同人誌によって秀作として選考されました。同じ年に『人工心肺』がテレビドラマに映像化されました。

1964年に渡辺さんは結婚して5年後に大学を退職して作家の職業に集中しました。1965年に『死化粧』を発表して、その小説は新潮同人雑誌賞を受賞して、芥川賞に候補になりました。次の小説、『霙』と『訪れ』が大衆文学の一番大事な直木賞に候補になって、渡辺さんが大学の仕事をやめて次の1970年にやっと『光と影』が直木賞を受賞しました。

最初のころは、よく小説の中に自分の医者としてできた経験を含みました。小説の主人公を医者にして、病院の問題や医者のモラールに関する悩みなどを描いたりしました。医学小説の分野を展開したと言われています。でも彼の小説は医学小説だけではないです。風俗小説や、歴史に触れる小説や、伝記小説なども書いています。

さすが医者の仕事をした人で、人間に集中します。人間の胸中に秘めている気持ちと心の闇を描いています。彼の小説の主人公はつらい経験をしたり、モラールに反する選択をしなければいけない人物が多いです。一方、伝奇小説には、支障を超えながら目的を達成するためにがんばっている人物の人生を描いています。『花埋み』の荻野吟子(おぎのぎんこ)や『女優』の松井須磨子(まついすまこ)みたいな女性は一所懸命に生きていました。

1979年に『遠き落日』と『長崎ロシア遊女館』が吉川英治文学賞を受けて、1983年に『静寂の声 ― 乃木希典夫人の生涯』が文藝春秋読者賞を受けました。1997年が渡辺さんにとって非常に成功的な一年でした。発表された『失楽園』が大人気になって販売した本の数は260万冊を突破しました。それから映像化されて、『失楽園』という単語は流行語大賞に選ばれました。

1998年に札幌に渡辺淳一文学館が公開されて、2003年に渡辺さんは紫綬褒章と菊池寛賞を受けました。

画像: http://www.books-sanseido.co.jp/blog/yurakucho/2009/12/post-128.html

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